「ウチ、断捨離しました」から断捨離の難しさを考える。

今日は、お題スロットを使用しました。お題「断捨離」

これはまたかなり興味のあるワードが来ました。

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断捨離。短いながら複雑な気持ちになる単語。

放っておくとモノが増えるわたしに、

 「私と断捨離の関係」を書ける程の経験値はない。

今回は断捨離提唱者の

やましたひでこさんのことを考えながら、

断捨離について思うことを書きたいと思う。

 

断捨離 をテーマにしたテレビ番組

BS朝日で放送されているやましたひでこさん出演の

「ウチ、断捨離しました」を一時期毎週見ていた。

断捨離は自分とモノを通して、

徹底的に自分を知ることであり、

決して単なる「要らないものを捨てる」作業ではない。

様々な依頼者が出てくるが、

みんなそれぞれモノを捨てることで、

自分の抱えていた気持ちや問題を発見し、向き合っていく。

自分の内面の問題を整理することで初めて

断行 捨行 離行 を実践することができるため、

断捨離にリバウンドは有り得ないことなのだろう。

もしリバウンドするなら、

自分の内面に向き合いきれていないのかもしれない。

 

本当はどうしたかったのか

番組の中でのやましたひでこさんは、

「人の住むところじゃない!」とか毒舌を発揮しながらも

「何するために買ったの?」

「なぜ使っていない(使わなくなった)?」

「優先順位は?」「今なにをしたい?」

というような、相手が気づきを得るような問いかけをしていく。

自分の行動の結果が今の自分になる。

自分の行動の結果である「モノ」たちと向き合う必要がある。

このモノを買ってこうしたい!

という気持ちで人はモノを購入する。

こうしたい!が叶えば良いが、

いつだって叶うとは限らない。

その時、理想とは全く違う自分をどう受け入れるのか。

断捨離は簡単なことでは無い。

 

なぜ、捨てるのか

たまに、家族が応募しただけでやる気が出ない依頼者も登場する。

やりたくない!捨てたくない!というモノの主と

安全のために捨てて欲しい!と主張する家族の攻防戦。

捨てる必要が無いと思う理由は何なのか。

歳を取ればとるほど、思い出も多い一方で

失ったものも多くなり、執着も生まれる。

そういった気持ちや感情の海に潜ってまで

「捨てる理由」を考えるのは難しくなるのかと思う。

家族は懸命に「捨てるべき理由」を説くけど

結局断捨離の成功は、本人の意思にかかっている。

 

断捨離は簡単ではない

そんなこんなで

断捨離は、例えば掃除でいう

「拭いたらキレイになる!」みたいな話ではない。

「ウチ、断捨離しました」を見るほど、

そんな気持ちになっていった。

今はもう毎週は見ていない。

依頼者たちが自分と向き合う過程で

時々私まで感情が乱されることもあるからだ。

それほど断捨離はハードなのである。

 

考え方の押し付けなのか?

ネットでは

「ウチ、断捨離しました」についての感想も沢山あり

断捨離は宗教のようだ とか

やましたひでこ やばい みたいな声もよく見る。

実際、ホームページやブログを拝見すると

たしかになかなか「すごそう」な感じはする。

ただこのあたりは、やましたひでこさんの

お商売のやり方なんやろうと思っている。

今だって断捨離!とこれだけ言っといて

登録商標マークをつけて断捨離®️とは書いていないし。

 

断捨離をする勇気

でもやっぱり、「ウチ、断捨離しました」を見ると

世間では言われているような

整理整理・収納術とか、ただの掃除と同じように

断捨離 って言って良いのか、いつも少し悩んでしまう。

そして、

悩んでいる間に断捨離すべきやろ と思うけど

自分に向き合う勇気が持てず、

わたしの断捨離はいつも

整理整頓の範囲に留まってしまう。